幸せな十七歳




「ルルーシュさま」

「ルルーシュさま」

「ルルーシュさま」

 扉の外から声が聞こえる。自分の名を呼ぶ、男の声が。
 ルルーシュは背中を預けていた扉から、ずるずると床に崩れ落ちた。膝を抱えて座り込む。嗚咽を呑み込むのに必死だった。
「ルルーシュさま」
 カリ、と木製の扉を引っ掻く音。カリカリ、カリカリ。まるで猫みたいに。
「ルルーシュさま。ねえ、お願いです。開けてください」
 扉一枚隔てて、優しく懇願される。どうか、どうか、と。
「一人で泣かないで。そんなの苦しいだけですよぉ」
 けれど、ルルーシュは頑として扉を開けなかった。誰にも見せたくなかった。泣いている姿なんて、誰にも。
「このロイドを、貴方のお側に」
 その甘やかな声音に、ルルーシュの涙腺がいっそう緩んだ。ひ、と嗚咽が漏れ、慌てて口を覆う。
 アリエスの離宮。花の匂いがする。もう怖くはない。
 しかし一歩外に出れば恐ろしい魔物の住処。立っているのがやっとのところ。
 出自を嘲笑われ、卑しい血だと蔑まれ、それに対して、自分は表情一つ動かしてはいけなかった。毅然と振る舞い、威厳を作り出し、つんと顎を尖らせる。負けるな、俯くな、震えるな。
 けれど、廊下にぽつりと一人残された瞬間。ずっと押し込めていたものがルルーシュの目から溢れ出しそうになる。悔しい、悲しい、どうしてそんなことを仰るの、違うもの。子供らしく喚き散らしてしまいたかった。
 それなのにできなかったのは、扉の外にいる男のせい。嘲笑が過ぎ去った後、優しく声を掛けてきた男がいたから。
 ルルーシュはアリエスの離宮に逃げ込んだ。けれどルルーシュの三歩は男の一歩。捕まえられそうになったところで、なんとか自室の扉を閉めることができた。
 けれど外からは相変わらず猫撫で声。入れてほしいと願う男の声。
「‥‥っ、ロイド、‥‥帰って、」
「なぜ?」
「なぜって、」
 一人で泣かせてほしいとは恥ずかしくて言えない。相手はきっと分かっているだろうけど。
 そのとき、カチリと音がした。あ、と思ったときには、ルルーシュの小さな体はころりと転がっていた。
「これは失礼」
 扉に背中を預けていたのだ。押し開けられたら当然のこと。
 ふわりとしたドレスがルルーシュの足に絡む。中々起き上がられなくてまごついていると、背中にやんわりと手が当てられ、そして体が浮き上がった。
 目の前に色素の薄い目が迫る。すっと細まるそれに、ルルーシュの驚いた顔が映っていた。
「つーかまーえたー」
 ふ、と笑った吐息が、ルルーシュの額を撫でた。そして押し当てられる柔らかな感触。
 駄目、我慢しないと。泣いちゃ、駄目だ。
「ロイド‥‥」
「はい」
「ロイド‥‥っ」
 みるみるうちに大粒の涙がルルーシュの頬を伝った。引き結んだ唇が解け、わぁっ、とロイドに泣き縋った。
 わたくし、かなしいの。
 誰にも言えなかった言葉を、気持ちを、一人の男に告げた。
「ルルーシュさまはお偉い。よく我慢しましたね」
 褒められる、たったそれだけのこと。けれど何より聞きたかった言葉だった。ずっと隠してきた悲しみを、誰かに知ってほしかった。馬鹿な子供の気持ちを受けとめてくれる誰かが欲しかった。
「もう大丈夫。これからは僕がいます。ルルーシュさまの涙、僕だけが知っている。だから安心して、ルルーシュさまは好きなだけ泣いてもいいんですよ」
 ロイド。ロイド。ロイド。
 本当に、信じてもよろしいの?
「もちろん。‥‥だから、許してくれますよね」
 ルルーシュの体がそっと地に下ろされる。跪いたロイドが、ルルーシュの小さな手をそっと奪い取った。
「このロイドを、ルルーシュさまの騎士に」
 誓いとともに、口付けを。

++++

 日本に行くことになった。
 ナナリーも一緒だ。二人で、日本に。
 極東の島国。太平洋を挟んだ彼方にある。
 なに、少しも怖くない。
 郷愁は感じなかった。憎い男の住む土地だ。滅んでしまえ、とも思う。
 母を失い、妹を傷つけられたルルーシュは、今日ブリタニアを去る。
 騎士になると誓った男には何も告げずに。
「お姉様、」
「うん」
 航空機が離陸準備に入り、騒音を立てる。不安になったナナリーの手が、ルルーシュを求めて彷徨った。その小さな手をルルーシュはやんわりと握り込む。
 大丈夫。大丈夫だ、ナナリー。

 十七歳になったら、わたくしを守ってね。

 あのとき、すぐに騎士へと召し上げなかった自分の判断は間違ってはいなかった。立派なレディとなってから、と言ったら、あの男は一瞬残念そうな顔はしたものの、すぐに口元を綻ばせていたっけ。
「お姉様、痛い、」
「‥‥‥っ、あぁ、すまない、」
 知らず力のこもった手をぎくりと震わせ、ルルーシュは今度は優しく握り返した。これからはこの小さな手を、自分一人で守らなくてはならない。見えはしないが、安心させるように笑みを返そうとしたそのとき、ルルーシュの視界がぐにゃりと歪んだ。
「お姉様?」
 ぽた、ぽた、と膝に雫が落ちる。目が熱い、喉が痛い、心が、張り裂けそう。
 ロイド。
 ロイド。
 ロイド!

 はぁーい。ロイド・アスプルンド、この命に代えましても、ルルーシュさまをお守りします。
 だから早く、十七歳になってくださいね。

「‥‥‥ロイド、わたくしの騎士」




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