今宵、オレンジ畑の真ん中で




「おはよう、ジェレミア」
 頬に柔らかい感触。沈み込んだベッドが元に戻り、ジェレミアに重なった影が消えた。
 カーテンの隙間からは朝日が差し込み、部屋を照らしている。いつも起きる時間にはまだ早い。そうぼんやり考え、また瞼を下ろす。
「こら、寝るんじゃない」
 前髪をつんと引っ張られた。薄ら目を開けると、微笑む少女が自分を見下ろしている。
「ル、ルーシュ、様‥‥?」
「うん」
 ルルーシュ様だ。
 徐々に唇が緩み、ジェレミアもまた微笑をつくった。
「顔を洗ってこい。私はアーニャを起こしてくる」
 ルルーシュは真白なワンピースを着ていた。浮き上がった鎖骨に朝日が降り注ぎ、肌もまた真白に輝いていた。まるで天使みたいだと思ったら、そのまま口に出していた。
「‥‥‥‥恥ずかしい奴だな」
 照れ笑い。ルルーシュは小走りで部屋を出ていった。
 身だしなみを整えてリビングに行くと、美味しそうな朝食がテーブルに並んでいた。クロワッサンに、オレンジマーマレード。大きなボールに入ったコールスローサラダ。ボイルされた大きめのソーセージ。キッチンの鍋には弱火にかけられたスープがあった。そしてテーブルの真ん中を占領するのはオレンジジュース。
 リビングに近づいてくる足音を聴いて、ジェレミアは人数分のオレンジジュースをグラスに注いだ。
「おはよう、オレンジ‥‥」
「おはよう、アーニャ・アールストレイム」
 いつにも増して眠そうなアーニャと挨拶を交わし、今度はスープの用意に取りかかった。この香り、カボチャスープか。
「パセリ‥‥取ってくる‥‥」
 後ろから覗き込んでいたアーニャが、キッチン脇の裏口から庭に出ていった。彼女が密かにはまっている家庭菜園にはパセリがあるらしい。
 すぐに戻ってきたアーニャの手には青々としたパセリが握られていた。「刻んで‥‥」とこれまた人任せ。仕方が無い、彼女はナイトメアフレームの操縦桿は握れても、包丁は握れない。
「ルルーシュ様は?」
「洗濯。すぐ来るって」
 注いだスープをテーブルに並べ、そこでようやく二人は席に着く。会話は無かった。ただ待っていた。
 けれどあまりにも静かなので、次第に二人は不安になってくる。朝食は三人分用意したが、本当は二人分で事足りたのではないのか、と。
「待たせたな。さあ、食べよう」
 席を立とうと腰を浮かしたところで、ルルーシュがリビングに姿を見せた。中腰で硬直するジェレミアとアーニャを見て、不思議そうに首を傾げている。
「どうかしたか?」
「いえ、いいえっ、」
「なんでもない‥‥」
 結局は二人立ち上がってルルーシュをお出迎え。ジェレミアは椅子を引き、ルルーシュを座らせた。
 食事は、どこかぎこちなく始まった。くすぐったくて、むずむずした、とは後のアーニャの台詞だ。食器の擦れる音すら、面映くて仕方なかった。
「ジェレミア、ジュースのおかわりは?」
「いただきます」
「アーニャも?」
「ほしい」
 食事の最中も、ルルーシュはよく動いて世話を焼いてくれた。そんなことは自分が、とジェレミアが申し出てもやんわり断られ、したいのだと明るい瞳で懇願された。
 心地良い会話と食事はあっという間に終了した。アーニャとルルーシュが並んで皿洗いをする中、ジェレミアは洗濯物を庭のもの干し竿へと運んだ。
 水分を含んで重たくなったシーツを広げ、次々に干していく。作業着も大量だ。下着は別々。以前、一緒に干したらアーニャが珍しく怒りを露にしたので、今は洗うときですら分けている。女の子は取り扱いが難しい。
 今日は晴天だから、昼には乾いているだろう。風にはためく洗濯物へと頷き返し、家へと踵を返す。
 リビングに戻ると、ルルーシュと、そしてなんとアーニャが包丁を握り、何やら作業をしていた。
「指は丸めて。切るのはゆっくりでいいから」
「こう?」
 微笑ましい。まるで巣立たんとする雛鳥に羽ばたき方を教える親鳥のようだ。
 リビングの入り口に立って、ジェレミアはしばらくその光景を眺めていた。
 二人は昼食を作っているのだという。刻んだタマネギとツナ、塩胡椒をふり、マヨネーズを絡めてパンに挟む。サンドイッチの出来上がり。
 果たしてこれが料理と呼べるのかは分からないが、アーニャは満足そうだった。
 中身の詰まったランチボックスを携え、昼前には農園に出発した。オレンジの収穫は初めてだと、トラックの助手席ではルルーシュが張り切っている。ワンピースからオーバーオールに着替えたルルーシュは、それでも気品が漂っているからすごい。大きめの麦わら帽子を被って、アーニャと一緒にオレンジ畑に飛び出していった。
「これはもういいのか?」
「えぇ」
 たわわに実ったオレンジを収穫し、ルルーシュはまるで宝石を相手にするかのようにしげしげと眺めていた。ジェレミアと目が合うと、嬉しそうに唇を綻ばせた。
 正午、シートを広げてオレンジ畑の真ん中で昼食をとった。サンドイッチを口にすると、アーニャの視線が突き刺さってくる。美味いと褒めたら、また作るとやる気を見せた。今後の昼食はすべてサンドイッチになりそうな気がした。
 帰り、ルルーシュがトラックを運転すると言ってきかなかった。
「大丈夫だ。ナイトメアフレームを操縦できたんだ、トラックぐらいどうということ、‥‥‥うわぁあっ!?」
「ギアがバックに入っておりますルルーシュ様っ、」
「シートベルト‥‥」
 一騒動あったが無事家に着くことができた。料理に目覚めたアーニャと一緒になって夕食に取りかかるルルーシュに勧められ、先に風呂に入った。一汗流して出てくると、ビーフシチューの匂いがした。
 朝食のときのようなぎこちなさは消え、夕食ではとても会話が弾んだ。特にアリエス宮での思い出話。
 場所を変え、時も移り変わり、今はオレンジ畑にいる三人。不思議な心地がした。こういう時間も手に入れられたのだと思うと、胸がつまる。
 デザートはオレンジゼリー。
 朝からオレンジ尽くしの食事に、さすがルルーシュ様と感心する。自分たちときたら、せいぜいが絞ったオレンジジュース。他はすべて出荷。情けない。これからはもっと工夫しようとジェレミアは誓った。
 夜。
 先に眠ったアーニャを見下ろし、ルルーシュが言った。
「まるで娘ができたみたいだ」
「私もときどきそう思います。嫁に出すときは、悲しむのでしょうな‥‥」
「それは気が早いんじゃないか?」
 あどけない寝顔を見つめながら、ルルーシュはアーニャの前髪をそっとはらった。
「外に出ないか?」
 腕を引っ張られるまま、ジェレミアは外へと連れ出された。月光降り注ぐオレンジ畑へ。気のせいだろうか、今夜はやけに月が明るい。
 ルルーシュがまた白く輝いて見えた。朝は天使のようだったが、今は女神のようだ。
「恥ずかしいな、本当に‥‥」
 またもや口に出して、ルルーシュに叱られた。けれど赤らんだ頬が、心情を雄弁に語っていた。
「手を」
 向かい合う体勢でそう言われ、ジェレミアは何も考えずに右手を差し出した。ルルーシュが手を乗せ、体を密着させてくる。冷たい夜風が吹く中、ルルーシュの体温は心地の良いものだった。
「久し振りだからな、最初に言っておく。踏むぞ。すまない」
 最初のステップは、合図も無しに始まった。不思議と息はぴったりで、初めてペアになったとは思えない。ルルーシュのリードからジェレミアのリードに変わり、オレンジ畑を縫って踊った。
「ジェレミア、最後はこう、くるくるとだな、」
「こうですか?」
「そうそう。一度やってみたかったんだ」
 大理石とは違って、下は土だ。けれどもルルーシュは器用に『くるくる』と回ってみせ、最後はぴたりと見つめ合う形でダンスは終わった。
 息を切らしながら、ルルーシュは満足そうにジェレミアを見上げた。頬は上気して、どこか稚い。
 頭上の月が、明るさをいっそう増していた。ルルーシュを照らし、白く消し去ろうとでもするかのようだった。
「また、来てくださいますか?」
 ルルーシュは目を細めるだけで、笑っているような、泣いているような、曖昧な表情を浮かべてジェレミアを見上げていた。
 きっとアーニャにも同じような表情を向け、別れを告げたのだろう。そう思い当たると同時に、胸の中が、どうしようもなく不安定に揺れた。
「‥‥‥‥また来ると、そう仰ってください」
 ルルーシュのたおやかな指が、ジェレミアの頬に触れた。感じた温かさは既にない。冷たくもなく、ただ体温を感じさせないルルーシュの指。それが頬から唇に滑り、ゆっくりと形を確かめるように動いていった。
「今度は、お前が来てくれ。ゆっくりでいいぞ。たまには、待つのも悪くない」
 ジェレミアに触れた指で、自分の唇をなぞり、ルルーシュは淡く微笑んだ。月の光の下、それは本当に綺麗で。
 いつまでも、見ていたかった。

++++

 普段通りに起床し、朝食を済ませ、農園に向かった。
 脚立に座りながら、オレンジを収穫する。良い出来だと満足しつつ、次々ともいでは籠に入れた。
 今日はジュースの他に、デザートにもオレンジを使うのだとアーニャが張り切っている。食べられればそれでいいというのが昨日までのアーニャの持論だったが、今朝起きて気が変わったらしい。ランチボックスには、彼女手製のサンドイッチが詰まっていた。
「夢を見たの」
 背中合わせにオレンジを収穫しながら、アーニャが唐突に言った。
「ルルーシュ様が、料理を教えてくれた」
 淡々と。けれど普段とは決定的に違うアーニャの声を背中で聞きながら、ジェレミアはまた一つ、オレンジを収穫した。
「アーニャ・アールストレイム」
「なに?」
「泣くな。そんな気持ちで収穫しては、美味いオレンジはできない」
「うん」
「最後まで、愛情込めて取り扱うのだ」
 宝石のように。大事に、大事に。
 ‥‥‥大事に、お守りしたかった。
「オレンジ、泣いちゃ駄目」
 ゆっくりと、大きく息を吐き出した。
 目の奥が痛いほど熱くなるのを感じながら、オレンジ畑の真ん中で、ジェレミアは静かに嗚咽した。




-Powered by HTML DWARF-