騎士の条件


07



 子供一人が入れそうな、大きなスーツケースを用意した。
 最初に詰め込んだのは、家族の写真が収まったアルバム。けれど兄妹達が映ったのは抜いておいた。見たら、きっと悲しくなるだろうから。
 肌着はたくさん持っていこう。買ってもらえる保証はないし、少しでも清潔でいる為には必要なものだ。可愛らしい装飾の肌着は、これからの生活にはきっと不似合いだろうけど。
 次に、日常で着る衣服。あちらは今、夏であるから、半袖と半ズボンは必需品だ。暑がりのナナリーはいっぱい汗を掻くだろう。ちょっと心配だ、タオルもたくさん持っていくことにしよう。
 コートを詰め込んだ。ナナリーお気に入りの手袋も。これが必要になるような季節まで生きていられたら、嬉しいな。
 あぁ、そうだ。ぬいぐるみ。
 これが無いとナナリーは眠れないときがあるんだ。いけない、忘れるところだった。
 そうそう、髪飾りも必要なんだ。毎日、ナナリーは可愛くなくちゃいけない。きっと向こうではお洒落はできないだろうし。だったらせめて髪型だけでもいい、ナナリーを喜ばせてやりたい。
 食料はいるだろうか。
 あちらがどんな環境かも分からない。機嫌を損ねて何も食べさせてもらえなかったら?
 あり得るかもしれない。飴玉を持っていこう。乾パンはたしか母上の部屋にあった筈。ときどき無性に食べたくなるのよ、と仰っていたっけ。ついでに母上の香水も拝借しよう。
 他には? 何か忘れていないか、ルルーシュ。
 ‥‥‥‥そうだ、そうだった!
 お前を忘れていたな、ジェレミア。
 しかしだ。お前はとても背が高い。だからいくらこのスーツケースが大きくても、お前を入れることはできないんだ。
 できないんだよ、ジェレミア。

++++

「絶対に兄上の差し金だっ!!」
 滅多に取り乱さないルルーシュがついに我慢の限界を迎えた。拳を打ちつけたデスクの上には、山となった書類。ぐらぐらと揺れて、ついにはルルーシュに襲いかかった。
「ルルーシュ様!!」
「‥‥‥っく、このっ、兄上めぇえっ」
 すべてすべてあの似非貴公子のせいだ。いつか絶対復讐してやるっ。
「ルルーシュ殿下、休憩しましょう」
 散らばった書類を拾い上げながら、ミレイが提案した。スーツ姿がいつにも増して大人っぽいミレイは、そうと決めると給仕室へと消えた。
 ルルーシュは背もたれに全身を預け、もう嫌だと呟いた。
「あぁ、そうだ、カレン」
「はい!」
 ルルーシュの執務を手伝っていたのは、ミレイともう一人。最近迎え入れた研究チームとセットで軍部から引っ張ってきた少女だった。
「もう帰ってもいいぞ。疲れただろう」
「そんな! 大丈夫です! 体力には自信があるんです! だからこのままいさせてください! お役に立ってみせますから!」
「わ、分かった、」
 直線距離にして五メートルは離れていたというのに、あっという間に詰め寄られたルルーシュは思わず了承してしまった。だって怖かった、間に机があったのに一秒とかからなかったのだ。
 ちなみに体力馬鹿な彼女がなぜ柄でもない書類作業をしているかと言うと、そう、すべてはシュナイゼルの陰謀だった。
 猫の手も借りたいほどに、ルルーシュへと仕事が舞い込むのである。
「『新型ナイトメアの命名についてのご相談』とか私は関係ないだろうがっ!!」
 中にはどうでもいいと言っては憚りがあるかもしれないが、ルルーシュにとっては管轄外のものも含まれていた。どうにかして邪魔したいという意図が透けて見える。
 騎士の任命式は、派手ではないが心のこもったものにしたかった。なのにあの男、ルルーシュが招待しようとしていた兄、姉、妹、その他諸々を遠いエリアに出張させるは、仕事を押し付けるは、実に姑息な手を使ってきた。お陰でいつまで経っても、任命式が執り行えずにいた。
 一度抗議しに行ったときには、「はて私は知らないよ?」だと!
 思い出しても腸が煮えくり返る。ルルーシュはふつふつと湧き上がる怒りを爆発させた。
「えぇいっ、『マリリン』だ! 新型は『マリリン』! 決定!!」
 ふはははっ、と悪魔的な笑いを浮かべて、適当な名前を記入した。パイロット達は恥ずかしい名前の機体に乗って恥ずかしい思いをすればいいんだ。
「ルルちゃ〜ん、落ち着いて」
 ティーカップやケーキの乗ったワゴンを押して、ミレイが戻ってきた。突然キレたルルーシュにおろおろするカレンは、ほっと息をついた。
「たまにね、ルルちゃんこうなっちゃうのよ」
「はぁ、」
 休憩はプライベート同然とばかりに、ミレイは愛称で呼んだ。先ほどのキレっぷりが嘘のように、ルルーシュは平然とソファに座り、優雅に紅茶を楽しんでいた。
「ん、相変わらず美味だ。香りもしっかりしている」
「やったぁ、ルルちゃんのお墨付き!」
「うわっ、本当に美味しいです。こんな紅茶、初めて飲みました」
 次にケーキ。ふわふわのシフォンと、口の中で蕩けるレアチーズ。カレンは再び唸った。
「よかったね、ルルちゃん」
 訊けば、ルルーシュ手製のケーキとのこと。
 その事実にカレンは恐れ戦き、思わずルルーシュを凝視した。
「ルルーシュ殿下って弱点無しですか!?」
「そんなことはない」
 料理は趣味だ、と素っ気なく。
 だが素人で終わらせるには惜しい腕前。しかも忙しい政務の間にこれだけのものを作り上げるとは。
「気分転換だ。混ぜて焼くだけだしな。一時間とかからない」
 焼いている間はもちろん仕事。皇族、いやルルーシュが凄いのか。カレンは先ほど一口で食べてしまったキューブ型のレアチーズケーキを、丁寧に切って口の中に放り込んだ。しかし止まらない。
 ミレイはくすくす笑いながら、空になったカレンのカップに紅茶を注いでくれた。
「ルルちゃん、弱点だらけよ。まず運動。これが駄目。もう本っ当に駄目なの!」
「力いっぱい言わないでくれ」
「お勉強と家事は天才的なのにね。神はルルちゃんに二物以上を与えたもうたけど、決定的に駄目なところは駄目にしたって感じ?」
 階段を駆け上がればひいひいと呼吸を乱し、ボール遊びをすればなぜか顔面で受けとめる。唯一できるスポーツと言えば乗馬のみ。
「かけっこじゃ、ルルちゃんいっつもビリなのよ〜」
「はぁ、でも、まあ人間、苦手なことの一つや二つ、」
 フォローが逆に悲しい。ルルーシュは既に馴れた遣り取りを聞き流していた。
「でもねでもねっ、一回だけね、一番になったことがあったわよねえ?」
 それまでまるで他人事のように話を聞いていたルルーシュの顔が強張った。薄らと頬を染め、にやにや笑うミレイを睨みつける。
 言うな、と制する前に、ミレイは暴露した。
「ジェレミア卿に抱っこされて、私を追い抜きナナちゃんを追い抜き、ゴーーール! ‥‥‥‥ね?」
「ミレイ!!」
 つまりは代走。
 いや、ルルーシュも一緒になって走ったようなものだ。あのとき心は一つだった。だからあれは正当な勝負と言えよう。そもそもかけっこで自分が勝てるわけがない。ちょっと知恵を使っただけだ。
「もうどこへ行くにもジェレミア卿が一緒だったなあ」
「そうでもない」
 一番連れていきたかった場所には、連れていくことができなかった。もっとスーツケースが大きかったら、適ったのかもしれないけれど。
 男の涙を愛おしいと思ったのは、たしかあのときが初めてだったな。
「ルルーシュ殿下?」
「怒っちゃったの?」
 黙り込んだルルーシュを覗き込む心配そうな顔二つ。ルルーシュはきょとんとして、しかしすぐに意地悪そうな笑みを浮かべた。
「怒った。よってタダ働きの刑だ」
「えぇー!! 約束してた手料理は!?」
 ミレイの本気の嘆きを無視して、ルルーシュは執務に戻った。丁度扉がノックされ、耳慣れた男の声が入室を請う。
「入れ。‥‥‥あぁ、お帰り、ジェレミア」
 スーツケースが大きかったら、か。
 けれど追いかけてきてくれた忠義の男に、スーツケースは必要なかった。




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