騎士の条件


06



 要塞を囲むようにして美しい緑の森が広がっていた。その先には高山帯。
 かつてはEUに連なる一国家、今はブリタニアの一植民となったエリアにルルーシュはいた。
「暑さで臥せってはいないか? 無理はいけないからね」
 心配だとしきりに零すルルーシュの視線の先で、モニターに映った愛しい妹が微笑を浮かべていた。
「外に出るのは極力控えたほうがいい。紫外線がお前の肌を焼くかと思うと‥‥あぁ、せめて夕方にするんだ。間違っても真夏の太陽の下でピクニックなんかするんじゃないぞ。ユフィにもきつく言っておく」
『お姉様ったら!』
 ぶちっ。
 真っ暗になったモニターに、ルルーシュは悲鳴を上げた。しかし、直後に通信は回復。ナナリーのちょっとした意地悪だった。可愛いことをする。
『ユフィ姉様が別荘に招待してくださったんです。行ってもいいですよね?』
「‥‥‥‥構わないが、くれぐれも」
『コーネリア姉様も途中から合流されるんですって。ね、大丈夫』
 その一言で防衛力がぐんと上昇した。さすがコーネリア姉上だ。楽しんでおいで、と了承すると、妹がそれはもう嬉しそうに微笑むものだから、ルルーシュの口元も思わず緩んでしまった。仕事にかまけて、ナナリーをアリエス宮の外にはあまり連れ出してやれなかった。通信を終えた後、暗くなったモニターに向かって小さくごめんと呟くことで、今は許してほしい。
 名残惜しげに通信を切った後、ルルーシュは表情を引き締めた。姉の顔から指揮官の顔に切り替え、司令室に入ると目が合った部下に対して頷いてみせる。
「‥‥‥‥さて、頃合いだな」
 革張りの司令席に背中を預け、ルルーシュは正面の大型モニターに目をやった。その紫紺の瞳には、さきほど妹に見せた蕩けるような甘さは欠片も無い。
 国境は目と鼻の先。白く尖った峰の向こう、国境を越えるとそこは戦場だ。頭の中で組み立てた戦略が静かに動き出す。ルルーシュは静かに戦いの始まりを告げた。



 開戦から数分後、格納庫ではちょっとした騒ぎが起こっていた。整備士達がはらはらと見守る中、パイロットスーツに身を包んだ二人が言い争っている。
「私一人で参りますっ、ルルーシュ殿下はどうか司令室にて指揮を」
「今さら何を言う! えぇいもう時間だっ、出るぞジェレミア」
「ですからいけません! 戦場に出るなど聞いていませんぞ!」
「言ってなかったからな! はっはっは!!」
「居直らないでください! そもそも複座式などおかしいと思ったのですっ、いくらルルーシュ様のご命令と言えど聞けませんっ」
「では私一人で乗る。お前はそこらへんのグラスゴーにでも乗ってろ」
「だから戦場に出るなど許さないと言っているのが分からないのですか!!」
 主の命ならば普段はあっさりと引き下がるジェレミアも、今日ばかりは一歩も引かなかった。知らないうちにパイロットスーツなど拵えて。しかも自分とお揃いだし。ちょっと嬉しいし。いやいやそんなこと今はどうでもいい。
「操縦などしたことがないでしょう!? 戦場は貴方が思うほど甘いものではない!」
「操縦ならコーネリア姉上に叩き込んでもらったっ、執務の合間を縫ってスザクにも練習に付き合ってもらったっ、それに操縦はお前に任せる、私はあくまで補助だ、足手まといにはならない!」
「あの小僧と会っていたのですか!?」
「なんだ嫉妬か? 嫉妬だな!?」
「嫉妬です!」
 ん? なんか話が逸れてやいないか。ルルーシュ様、頬を染めないでください。こっちまで照れます。
 言い争いがぴたりと止まり、格納庫に静寂が満ちる。整備士達の視線を一心に浴びながら、もじもじし合う主従達。
「‥‥‥‥とにかく、承服しかねます」
「もう言うな。私はお前と行きたいんだ」
 寂しそうな顔をしないでほしい。思わず視線を逸らし、ジェレミアは見ないようにした。
 パイロットスーツを身に纏ったルルーシュはいつにも増して痩躯で頼りなく、ジェレミアはどうしたって戦場に出せる筈がないと意固地になっていた。ガウェインの装甲は厚いと怪し気な科学者の女が言っていたが、万が一を考えると胸が引き裂かれそうになる。真綿で包んで大事に仕舞っておきたいほどなのに、どうしてこの方は大人しくしてくれないのだ。
「分かっておいでなのか? 戦争なのです、‥‥‥人を、殺すということを貴方は」
「ナイトメアフレームに乗らずとも、私は既に数多の命をこの手にかけている。司令席に座ってな。私一人が綺麗なままだとは思っていない」
「そんなっ、ルルーシュ様はお綺麗です!」
 また話が逸れた。整備士達の呆れた視線を感じる。
「ジェレミア」
 頬に手を添えられ、ジェレミアは息を呑んでルルーシュを見下ろした。譲るつもりは無いという意志の宿った瞳に自分の顔が映っている。
「この任務が終わってブリタニアに戻ったら、正式な式を挙げよう」
 当事者以外の外野からどよめきが起こった。仲が良いのは知っていたがまさか、と色めき立っている。
「アリエス宮の庭で、親しい人達だけを集めて、騎士の任命式を執り行おう」
「ルルーシュ様‥‥」
 あ、そっちか、と肩透かしを食らった者数名。騎士は感激して、目を潤ませていた。
「ジェレミア、私は覚悟を示したい。頼むから追い払わないでくれ」
 うるうるとした瞳で懇願されて否と言える人間がいるだろうか。ジェレミアが折れたのは言うまでもなかった。

++++

 ガウェインで派手に正面突破。新たに実戦投入した別のナイトメアフレームが戦場を散々に掻き回したのも功を奏したという。武装蜂起したエリアを鎮め、今回役に立たなかった総督の代わりに事後処理に当たっている。帰るのは一週間先、ナナリーをよろしくお願いしますと締めくくられて通信は終了した。
 通信機を侍女に預け、コーネリアは視線を遠くに巡らせた。ユフィとナナリーが乗馬を楽しんでいる。ナナリーは驚くことに一人で器用に馬を操っていた。特に大人しく従順なサラブレッドを選んだ甲斐はあったようだ。ルルーシュならば大事にし過ぎて決して乗馬など許さないだろうが、元々運動神経の優れたナナリーには丁度良いくらいだとコーネリアが許したのだ。生き生きとした表情を侍女に命じて写真に収めさせ、後でルルーシュに送信してやろうと思う。
「ギルフォード」
「はい、姫様」
「ルルーシュが帰ってきたら、騎士の任命式を行うそうだ」
「‥‥‥‥それは」
 めでたいなんて言おうものなら睨みつけられるとでも思ったのか、ギルフォードにしては珍しく言葉を濁していた。テラスに心地良い風が吹き抜く中、コーネリアは物憂げに溜息をついた。
「シュナイゼル兄上のところから機体を掻っ払った事件で相当な覚悟があるとは分かっていたが‥‥」
「姫様?」
「今回、ジェレミア卿と一緒に前線に出ていったそうだ」
「操縦を教えてほしいと仰っていたのは」
「そういうことだ。うるうるした目で頼み込まれてな、断れなかった」
 マリアンヌの子だ、コーネリアは張り切ってしまった。残念ながら素晴らしいと言うほどの操縦技術ではなかったが、言われたことは一度で覚えるし武器の使いどころが上手かった。久し振りの姉妹のスキンシップに浮かれて、裏も何も考えずに教えてしまった自分に反省している。これがもしユフィだったなら、教えるどころか頭の血管が切れているだろう。
「任命式には是非出席してほしいそうだ」
「どうされますか?」
「‥‥‥‥行くしかないだろう。お前のときも、ルルーシュはあんなに祝福してくれたのだから」
「覚えております。姫様はとても嬉しそうでした」
 眼鏡の奥の瞳が懐古に細められるのを見て、コーネリアはまた一つ溜息をついた。シュナイゼルを敵に回すことは怖いが、妹達に嫌われることのほうがもっと怖い。偶には感情で動いてみてもいいかと思ったのは、妹二人が自分を呼ぶ声を聞いたときだった。




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