ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアがアリエス宮に帰還したのは、珍しく日暮れ前だった。常ならば夜遅くに帰るか、妹と一緒に夕食を取るためだけに戻ってくることがあったが、その日は本当に仕事を終えて、ルルーシュはアリエス宮に戻ることができた。
お帰りなさいませルルーシュ殿下、と行き違う侍女達が頭を下げていく。誰も彼もがルルーシュによって厳選による厳選を重ねてアリエス宮に招かれた侍従達だ。実に優雅に、かつ温かく迎えてくれる。
まず真っ先に向かうのは妹の自室。扉をノックする前に、侍従の一人が素早く主に歩みより、耳に囁いた。その内容にルルーシュは軽く眉を跳ね上げたが、すぐに秀麗な笑みを浮かべて侍従を下がらせた。
「ただいま、ナナリー」
「お姉様! お帰りなさい、実は」
「読みたいと言っていた本が手に入ったよ。今日は時間があるからすぐに点字に直してあげよう」
「ありがとうございます、その」
「少し早いが夕食にしようか? 先ほどシェフに聞いたが、ナナリーの好物ばかりだった」
「楽しみです、あの」
「あぁそうだ! 一週間先になるけど休みが取れたんだ。それも丸一日。二人でどこかに出かけよう。ナナリーの行きたいところでいいよ」
「本当ですか? 嬉しい! 今から考えておきますね! あのそれで」
「すぐ着替えてくる。先に広間へ行って待っておいで」
「お姉様!!」
自分の言いたいことだけ言って退出しようとしたルルーシュは足を止め、妹を振り向いた。少し怒った様子のナナリーがいる。怒った顔も可愛いな、なんて姉馬鹿なことを考える。
「どうしたんだい、ナナリー」
「もうっ、お姉様ったら!」
ナナリーが車椅子を進めた先には一人の男が立っていた。無視し続けられていた男は、ルルーシュが帰ってくるずーーーっと前からそこにいた。
ルルーシュはもったいぶった動きで視線を寄越すと、嫌味たっぷりに口角を上げた。
「おやおやクルルギ卿ではありませんか。アリエス宮の主である私の許しも無く妹の部屋に入るとは、貴公は脳みそが腐っておいでなのかな?」
「おっ、お姉様っ、違うんです、私がお招きしたのです」
「だからと言って受けるほうもどうかしている。変な噂が立ったらどうしてくれるというのだ?」
「先ほどまで侍女が一緒でした、決して二人きりではありません!」
「ナナリー、広間に行っておいで。‥‥‥‥すぐに行くから」
扉を開けると、既にナナリー付きの侍女が待ち構えていた。戸惑うナナリーを連れていかせ、ルルーシュは扉を開けたまま訪問者に向き直った。
「軽卒だな、ナイトオブセブン」
「‥‥‥‥すまない、ルルーシュ」
「殿下と呼べ。まあいい、用はなんだ」
「座って話さない?」
すぐに行くと言ったが、まあ五分くらいはいいだろう。一人掛けのソファに腰を下ろし、ルルーシュは足を組んで踏んぞり返った。コーネリアを思わせる女王的な威圧感を放つ。
対するナイトオブセブンは同じようなソファにちょこんと座り、純朴そうな笑みを浮かべていた。
「久し振り」
「そうでもない。二日前に政庁ですれ違った」
「君は無視したじゃないか。こうして向かい合って話すのは久し振りだね、ってこと」
最後に話したのは一年前、彼がラウンズに選出された日。けれどそのときでさえ短い言葉しか交わさなかった。まともな会話をするのは七年ぶりくらいだろうか。ルルーシュとナナリーが日本にいたときのことだ。
「それで、話とは?」
「ナナリーに会って驚いたよ! 大きくなったね、あんなに小さくて頼りなかったのに。仕草とか話し方が大人びてて、もうお姉さんなんだね」
「当たり前だ。手を出したら殺すからな」
「相変わらずシスコン‥‥‥いや、なんでもない。あぁ、そうだ、二人で思い出話をしたら盛り上がったんだ。君達姉妹がうちに来たのは丁度この季節だっただろう?」
「そうだな、日本に売り飛ばされたのは夏真っ盛りだった」
「‥‥‥‥‥‥ごめん」
「気にするな。だが迂闊だ、女性にモテんぞ」
イレブン出身のナイトオブラウンズ。粉をかけようという猛者はまだ小数か。この先、功績を重ねて位を上げようものなら状況も変わってくるだろうが。
「話は終わりか?」
「ま、待って! えーっと、あー‥‥‥あぁ! そういえば昔はよく遊んだよねっ、枢木神社は山の中にあったからさ、虫取りとか川遊びして、今はそういうのできないから、懐かしいな‥‥」
「私も覚えている。カブトムシを頭の上に乗せられたり川に突き落とされたり、お前に散々苛められたからな」
「‥‥‥‥‥‥ごめん」
今は身を小さくさせて項垂れているが、枢木スザクの幼少期はまさにガキ大将だった。すぐに怒るしすぐに手は出すしすぐに拗ねる。当時ルルーシュはよく泣かされていた。
そんな彼も祖国を蹂躙され、父を失い、ブリタニア軍へと入隊を経て、随分と変わったようだ。立派な騎士となってルルーシュの目の前にいるが、その内側は如何なるものだろう。
「さっきはナナリーが僕を招いたって言ってくれたけど、本当は僕がお願いしたようなものなんだ。君と話したいって零したことがあったから」
「待て。お前、ナナリーとこれまでに何度も会っていたのか?」
「違うよ。ユフィ‥‥ユーフェミア皇女とは伝手があって、それで一度だけ」
あぁ、ユフィの騎士様か。
熱を上げていると言ったらコーネリアに叱られるだろうが、ユフィの想い人。そういえば以前、本人から聞いたことがあった。だがスザクは皇帝の騎士になってしまい、随分と落ち込んでいたっけ。まあいつか払い下げられるかもしれんぞ、と慰めて微妙な顔をされたことをルルーシュは思い出した。
「君とこうして話したかった。それだけなんだ」
「満足したか」
「うん。君ってちっとも変わってないから、なんか安心したよ。政庁にいるときはいつも怖い顔してたから。‥‥‥うん、安心した」
不意に翳ったスザクの表情を、ルルーシュは何も言わず見つめるだけに留めておいた。幼少期、幸せな一時を共に過ごした幼馴染。今まで敢えて接触しなかったのは、スザクを警戒していたからだ。皇帝の騎士が、ルルーシュから何かを奪いやしないかと。
けれど、私もつくづく甘い。
「‥‥‥‥ナナリーは、自由に外へ出ることができない」
「ルルーシュ?」
「お前、私よりは暇だろう? ナナリーの話し相手になってくれ。あの子は外の話が大好きだから」
「いいの?」
「あぁ。ただしユフィも一緒だ。彼女には私のほうから言っておく。二人でナナリーに会いに来るのなら、アリエス宮への訪問を許そう」
一時、ユフィと噂のあった男だ。矛先をナナリーから逸らすことができるだろう。
我ながらあくどいとは思ったが、ナナリーはこれで寂しくないし、ユフィは幸せだし、ルルーシュには利益がある。ラウンズが出入りする離宮、目に見えない盾の完成だ。‥‥‥コーネリア姉上には恨まれるかもしれないが妹の幸せを祈る者同士、分かりあえるとルルーシュは勝手に信じている。
さて、五分経った。
「スザク、今日はもうこれでお終いにしよう」
「ルルーシュ!!」
「大声を出すな。なんだ?」
ラウンズのマントがばさりと音を鳴らした。立ち上がったスザクは、しかしすぐに跪く。ルルーシュの目の前で。驚き思わず腰を浮かしたルルーシュだったが、すぐに身動きが取れなくなった。
縋り付くように抱きついてきた幼馴染が、そこにはいた。
「名前‥‥っ、やっと呼んでくれた‥‥!」
「スザク、」
「うんっ、うんっ!」
「スザク‥‥‥」
「ルルーシュう‥‥っ」
泣いているのか。お前、皇帝の騎士だろう。
けれどルルーシュには、今のスザクの気持ちが何となくだが分かっていた。感情が高ぶってどうしようもなく泣けてきて、そんなとき傍に誰もいないというのはどれほどの絶望感か、傍に誰かがいたときはどれほど幸福か。ルルーシュも過去に何度かどうしようもないときがあったが、傍にいてくれた人間はいつも同じだった。
スザクの猫っ毛を撫付けながら、ルルーシュは優しく語りかけた。
「頑張ってきたんだな。偉いぞ、スザク」
ラウンズとなった今も、イレブン、と蔑んで呼ぶ輩がいると聞く。どれほど努力を重ねても報われないことがあることをルルーシュは知っていた。そしてスザクも。
「今は泣け。ただしあと三分だけだぞ」
鼻水は垂らすなよ、との条件付きで。
しばらく静かに時間は流れていった。
二分後。
「っき、貴様っ、クルルギ!!」
ジェレミア帰還。
「あ、お久し振りです、ジェレミア卿‥‥グスっ」
「ルルーシュ様っ、一体これはどういうことなのですか!? なぜクルルギの小僧がここに!?」
しかも膝を占領して。
因縁の再会を果たした二人は、それぞれ真逆の反応で対峙した。
「アリエス宮に、いやルルーシュ様の前によくも顔が出せたものだな! 私は忘れんぞっ、ルルーシュ様の頭の上にカブトムシを乗せたりルルーシュ様を川に突き落としたりした無礼の数々を!!」
「わあ、よく覚えてますね。それにしてもジェレミア卿は変わってないなあ‥‥グスっ」
「その『ジェレミア卿』はやめろ!! 気味の悪いっ」
主に『ブリキ野郎』とか『ブリキ男』とか言われ、ジェレミアのほうも『小僧』とか『小猿』とか言って取っ組み合いになっていた二人の遣り取りを思い出し、ルルーシュは懐かしさに浸っていた。それにしてもジェレミア、スザクが泣いているとかどうでもいいんだな。
「ルルーシュの騎士になるんですってね。あはは僕邪魔しちゃおうかなー」
「スザク、三分だ」
「えぇ! でもジェレミア卿が来たから、あと一分ロスタイムを‥‥」
「帰れクルルギ!!」
皇帝の騎士、枢木スザクとしばし互角に格闘しあう己の騎士の成長ぶりを、ルルーシュは満足しながら見つめていたとか。