一面の焼け野原と瓦礫の山、そして硝煙の匂い。
枢木の神社から随分と歩いて辿り着いたのは、そんな場所だった。おそらく日本中同じような光景が広がっているのだろう。
「お姉様‥‥」
「大丈夫だよ、ナナリー」
車椅子を失い、ナナリーは両足を投げ出して座っていた。床の冷たさが伝わらないようにと毛布を探すも、見つかったのは新聞紙だけ。情けなかった。
「寒くはない?」
「大丈夫です。お姉様は?」
気遣ってくれる妹の優しさが、ルルーシュの心を慰める。もちろん寒くなどなかった。大人用の重いコートを肩に掛け、ルルーシュはナナリーに寄り添った。
もうじき暗くなる。二人の姉妹は地下に隠れていた。防空壕という立派なものではなく、資材置き場に近い。蝋燭だけが唯一の灯りだった。
「スザクさん‥‥大丈夫でしょうか」
「大丈夫に決まってる。あれでも首相の息子だ、悪いようにはされないさ」
むしろルルーシュ達が一緒にいては危険だろう。ブリタニアとの本格的な戦争が始まったのだ、ブリタニア人というだけで攻撃対象になる。実際、ここまで来る間に何度命を危険に晒されたことか。幼ければ見逃してくれるなんて、甘い考えだった。
「っし! 静かに‥‥」
物音に声を潜める。足音だ、扉に近づいている。
ルルーシュはナナリーを背に庇い、息を殺した。
ーーーコン、コンコン、コン。
合図だ!
ルルーシュは扉に駆け寄り、一気に押し開けた。
「ジェレミア!!」
両手を伸ばせば、体ごと引き寄せられる。心細かった、不安だった、だからルルーシュは力いっぱい抱きついた。
「ルルーシュ様、私だと確認してから扉を開けるようにと何度も言いましたのに‥‥」
「うんっ、すまないっ、」
反省なんて口だけで、ルルーシュは男の帰還を喜んだ。
彼も加え、三人も入れば地下の空間は手狭に感じた。けれどようやくルルーシュは安心できて胸を撫で下ろす。彼から借りたコートを返そうとしたが、断られてしまった。
「お許しを。あまり多くは調達できませんでした」
「いいや、ありがとうジェレミア。ほらナナリー、水だよ」
「ありがとうございます、ジェレミアさん」
まずナナリーに水を飲ませ、そしてルルーシュ、ジェレミアが口に含む。乾パンやチョコレート、それらを分けて少しだが腹に収めた。
あとはもう眠るだけ。ジェレミアが調達してきてくれたのは食料だけではなく、ルルーシュ達姉妹の為に柔らかな寝具を持ち帰ってきてくれていた。
そのどれもが煤けて汚れが目立っていたけれど、固い瓦礫やコンクリートの上で眠り続けてきたルルーシュ達にとっては何よりもありがたいもの。思わず歓声を上げて、ナナリーと二人、その上でころころと転がった。
ブリタニアが侵攻を開始した。
その報を受けてすぐにルルーシュ達は枢木の家を出た。着替えとわずかばかりの食料を持って。スザクとはろくに言葉も交わせないまま別れることになってしまったが、元気でいてくれるといい。
途中、何度か日本人に襲われた。軍人であったジェレミアがいなければ、ルルーシュはナナリー共々殺されていたことだろう。道が寸断されて、森の中を彷徨ったこともある。車椅子を放棄し、ナナリーを背負って歩いてくれたのはジェレミアだった。
彼はいつもルルーシュ達を最優先に考え行動してくれた。それなのに何の役にも立てないことが、ルルーシュには歯痒くてならない。生きながらに死んでいる。父に言われた言葉を思い返すたび、情けなさに胸が痛んだ。
「眠れませんか?」
何度も寝返りを打つルルーシュの隣から声がした。彼も起きていたらしい。
「空腹でいらっしゃるのですか」
「‥‥‥違う、」
もちろん腹は始終空いているが、そんなことではない。不安だったなんて言えなくて、ルルーシュは口籠ってしまった。
けれど相手はそれを見抜いたように薄く微笑んで、ルルーシュの手を握ってくれた。
ブリタニア軍と合流しようとは決して言わない彼の手は、ごつごつしていて温かかった。この手が自分たち姉妹を守ってくれている。祖国に裏切られたというルルーシュ達の感情を慮って、あくまでもブリタニアに頼ること無く生き抜こうとしてくれている。
ルルーシュが一言、ブリタニアに戻りたいと言えばいい。そうすればこの困窮した生活から脱出することができ、ナナリーに不自由の無い環境を与えてやれる。けれどそれがルルーシュにとってどれほどの屈辱かをジェレミアは知っているのだ
「私は、我が儘だ。自分が嫌で堪らない。嫌で嫌で、だから眠れないんだ」
「おかしなことを仰る。ルルーシュ様が我が儘でいらっしゃるところを、私は見たことがないのですが?」
本気でそう言っているのなら、かなりのお人好しかあるいは馬鹿だ。ブリタニアのアリエス宮にいたときから、我が儘を言って幾度となく彼を困らせてきたのは誰であろうルルーシュだった。
日本に行く。ジェレミア、お前についてきてほしい。
冗談半分どころかすべて冗談で言ったルルーシュの人生最大の我が儘を、彼は聞き届けてくれた。その結果、己の人生が歪んでしまったと恨みに思うことはないのだろうか。
今はこうして一緒にいてくれているが、自分は既に皇女としての価値なんてまったくない。おまけに体力もない。ジェレミアの足を引っ張って迷惑をかけたことは数えきれないほどにある。役に立たない子供なんて見捨てて当然なのに。
そうしない彼の優しさに、自分は縋っている。皇女時代の主従関係を押し付けているのだ。
「‥‥‥気付いてないだけだ。私は結構醜いものの考え方をしているぞ」
「真にそうであれば、口に出しては言わないと思いますが」
「違うな。醜いから口に出さないと耐えきれないんだ。溜めたままだとおかしくなってしまう。‥‥‥なんだ、その顔は」
暗闇に目の馴れたルルーシュの視界の先で、ジェレミアの浮かべる意味ありげな表情が癪に障った。
外は静かだった。地下にいるからだろうか、爆撃音も何もしない。ここは既に戦地からは離れているらしく、だからこうして三人は地下にいた。爆撃で出入り口が塞がれないのであれば、地下は涼しく快適であるのだと言う。
「日本は、負ける」
静けさの中、ルルーシュはふとそう言った。
「なあジェレミア、もし生き残ることができたなら、お前を」
解放しようと思う。
そう続く筈だったルルーシュの唇を、ジェレミアの手がそっと塞いだ。驚いて振り向くと、思ったよりも近くに彼の真剣な顔があった。ルルーシュ様、と吐息が頬に当たる。
「日本は、ブリタニアの植民地となりましょう。この地に住む者達にとっては不憫でしょうが、私は早くそうなればよいと思っているのです。整地が進めば、ブリタニア人が大勢入植してくる。その中に紛れ込み、生きていきましょう」
「‥‥‥‥どうして、‥‥お前、私達といてくれるのか?」
「お許しいただけませんか?」
「‥‥‥‥いや、‥‥‥‥うん、」
どうして、どうしてこの男はこうも尽くしてくれるのだろう。
目が熱さを訴える。堪えようとしたけれど、盛り上がった涙がルルーシュの頬を伝うのに、長い時間は必要なかった。
ルルーシュは声を殺して泣いた。ジェレミアはずっと手を握っていてくれた。
不衛生な地下の一室。取り巻くすべてが厳しい現状を表しているというのに、彼の言葉がルルーシュをこの上なく幸福にさせた。
「‥‥‥‥あぁ、戦争が終わったら、三人で暮らそう」
洗濯はできるんだ。料理はまだ未経験。掃除は任せてくれ。
嗚咽混じりの台詞の数々に、彼はいっそう笑みを深めて頷いてくれた。