狂った果実




 白い病室。白いベッド。横たわるのは、物言わぬ騎士。
 不幸とは突然に襲いかかるもの。
「ジェレミア‥‥」
 重症であるとは聞いていた。しかし目の前にいる騎士は、命の瀬戸際に立たされているという。
 事実を知らされた瞬間、ルルーシュの体が後ろへと傾ぐ。背後にいたヴィレッタが慌てて支えてくれたが、足下が覚束ない。恐怖による震えが止まらなかった。
「殿下、お気を確かに‥‥っ」
 全身から血の気が引いていく。いまや真っ青になった顔で、ルルーシュは支えられながらも騎士の元へと歩み寄った。無数のチューブに繋がれ機械の助けを受けながら、ルルーシュの騎士はかろうじて呼吸をしていた。
「そんな、どうして? 命には、別条はないと、」
「容態が急変したとのこと‥‥」
 悪い、冗談だ。
 崩れ落ちるようにして、ルルーシュは床に跪いた。手袋を外そうとするも指が震えてうまくいかず、見かねたヴィレッタが外してくれた。
 そしてようやく、ジェレミアに触れることができた。
「冷たい‥‥」
 まるで血が通っていないようだ。ルルーシュは何度も手を擦り、温めようとした。
「死ぬな、ジェレミア、私を置いていくな‥‥」
 どうすればいい。どうすれば彼を失わずにすむ。
 明晰と謳われる頭脳を持ってしても、解決策は浮かばない。死に瀕する騎士を救えなくて何が皇族か。
 本当は何一つできない無力な子供だと思い知らされる。もう何も奪われたくなくて力を備えたというのに、それはただの驕りにすぎなかった。
「‥‥‥っ、ジェレミア?」
 握った指先がわずかに動く。ほんの少しだけ、けれどたしかに今、ジェレミアの指がルルーシュの手を握ってくれた。
 生きている。彼はまだここにいる。
 ルルーシュは涙を零し、何かに感謝した。そうだ、まだ生きている。己の騎士がこうして懸命に頑張っているというのに、自分はいつまで悲嘆に暮れているつもりだ。
 涙を拭い、決意した表情で騎士を見下ろした。酸素マスクを避けて、頬にキスをする。
「すまない、ジェレミア。私は少し出かけてくる。その間に、死ぬんじゃないぞ‥‥」
 いつも守られていてばかりいた、だから今度は。
「ルルーシュ殿下? どちらに、」
「玉座の間だ。‥‥‥皇帝陛下の、御業をお借りする」
 何を犠牲にしても、己の騎士を守る。それこそが驕りであるとはそのとき気付きもしなかった。

++++

 目覚めると知らない場所。病院だろうか、いや、何かが違う。
「ここは‥‥?」
「おはよう、ジェレミア卿」
 少年の声。起き上がろうとしたジェレミアは、己の体に違和感を感じた。特に左半身、思うように動かない。
「あぁ、まだ調整が完璧じゃないんだ。大人しく寝とくといいよ」
「‥‥‥‥お前は、誰だ、」
 少年は笑った。ぞっとするような笑み。小柄な体から放たれる異様な威圧感に、ジェレミアは鳥肌を立てた。
 尋常ではない。子供も、この場所も、そして自分も。眠っている間に、一体何が。
「V.V.‥‥! 彼に何をしているのです!」
 新たに加わった声に、ジェレミアの体は大きく震えた。動きの鈍い左半身を必死に捻り、声の主を見る。扉に立っていたのは紛れもなく己の主。
 けれどひどく窶れていた。薔薇と称される美しい面立ちが今は萎えてしまったかのようにまるで生気がない。彼女は頼りない痩躯をふらつかせながら、V.V.と呼ばれた少年に歩み寄った。
「僕のことは伯父さんと呼んでよ」
「お戯れを。さあ、外に」
 目覚めたジェレミアには気付かずに少年を外へと誘導する。ぼんやりとした瞳には疲れが見え、目元には隈ができていた。あまりにも痛々しい主の姿に、ジェレミアはしばらく声が出せなかった。
「彼に挨拶しなくてもいいの?」
 意地悪そうに言われた言葉に、ルルーシュの目がようやくジェレミアへと向けられた。くすんだ瞳が、何度か瞬く。
「ジェレ、ミア‥‥?」
 めいいっぱい見開かれた目から、やがて涙が溢れ出す。ジェレミアが差し伸べた手に、ルルーシュが縋り付いた。
 少年の姿はいつの間にか消え去り、部屋には主従の二人が残される。ルルーシュの嗚咽が、ジェレミアの胸を何度も抉った。
「すまないっ、すまないっ‥‥!」
 この方はまるで幼子の頃に戻ったようだ。
 幼少の頃から仕えてきたジェレミアは、不思議な気分で泣きじゃくる主を見つめた。嗚咽に震える体があまりにも哀れで、思わず薄い肩を引き寄せる。そのとき、ようやく違和感の正体を知った。
「これ、は‥‥‥?」
 機械。ジェレミアの意志で指が動き、関節が駆動音を立てる。紛れもなく己の体の一部だと、瞬時にして理解した。
 ルルーシュの嗚咽がひどくなった。すまないと何度も繰り返し、ジェレミアに縋り付いては許しを乞う。
「お前に死んでほしくなかったっ、もうこれ以上誰も失いたくなかったんだ‥‥っ、私の驕りから、お前をこんな体にさせてしまったっ、」
 ルルーシュの指がジェレミアの左半身を辿る。けれど温かさも感触も伝わってはこない。機械の体は、主の温もりを受け付けなかった。
「だが、どんな形でもいい、お前を失うことに比べればと父上の条件を呑んだのだっ、」
「条件、」
「嚮団の管理者、それが」
 ジェレミアを生かすただ一つの条件なのだと。
 ルルーシュは顔を覆って号泣した。許してくれとは、彼女はもう言わなかった。

++++

 人払いの済んだ玉座の間。皇帝と皇女がいた。
「シュナイゼルが嗅ぎ回っているそうだな」
「はい。まだ発見に至ってはいないようですが、時間の問題かと」
 声を低め、ルルーシュは淡々と告げた。皇帝から管理を任されたとはいえ、己に決定権は無い。ただ皇帝の命令を静かに待った。
「場所を移す。候補地は?」
「既に」
「ではお前に任せよう」
 承知しました、陛下。
 深く頭を垂れ、ルルーシュは退室した。


 かつて己の母を見捨てた男に縋る気分というのは、ルルーシュにとってはそれほど悪いものではなかった。大事な何かを守る為ならば、心などいくらでも殺せることを知ったから。
 恥を繰り返すことこそ、我が人生。
「ーーー中華連邦に?」
「はい、移ることになりました。シュナイゼルの手が伸びる前に」
 面倒くさいと顔を顰めるV.V.を無表情に見返し、荷物をまとめるようお願いした。既に研究員の大半は、ルルーシュの指示で中華連邦に向かっている。
「伯父さんって呼んでおくれよ。そうしたらすぐにでも行ってあげる」
「伯父上。お早く」
「はぁーい」
 彼は馴れ馴れしくルルーシュの頭を撫でるとご機嫌で去っていった。得体の知れない伯父とやらの背中に、ルルーシュは冷たい一瞥をくれる。
 しかし一転、目の前の男には優しく蕩けるような眼差しを向けた。
「聞いていたな、ジェレミア」
 ガラス越しに、己の騎士へと囁きかける。薄く目を開き、ぼんやりとだが彼は頷いた。そしてルルーシュを求めるようにして手を伸ばしてくる。同じく手を重ね、ルルーシュはうんと顔を近づけた。
「あぁ、そうだな、少し不安だが、‥‥ふふ、お前がいるから、うん、うん‥‥きっと大丈夫さ」
 ガラス越しに会話を交わした。異形となった騎士へと愛し気に眼差しを注ぎ、早く触れたいと想いを吐露する。
 残った研究員達は、息を潜めて二人の遣り取りを見守っていた。




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