広げられた真白なシーツ。青空の下、それはよく映えた。
ルルーシュは背伸びをすると、湿ったそれを物干竿に干していく。ときどき小さな手でシーツを叩く。そうやって皺を伸ばしていく方法は、スザクが教えてやったものだった。ルルーシュは皇族だから、今まで洗い物なんてしたことがなかったらしく、スザクが知っているちょっとした生活の知識一つをとってもいつも大仰に驚いてみせる。
食事などは枢木の家が用意してくれるけれど、衣服の洗濯、蔵の掃除はすべてルルーシュが一人でこなしていた。目の見えないナナリーができることは少なくて、だからルルーシュはいつもさっさと仕事を終わらせるとナナリーのところに飛んでいき二人の時間を作っていた。決して苦労を悟らせること無く、ルルーシュはいつも笑っていた。
「スザクか」
洗濯物を干しているルルーシュの姿にぼんやりと見入っていたスザクは、はっとしてそしてなぜか頬を赤く染めた。
「じき終わる。先にナナリーのところに行って待っていてくれ」
学校が終わるとすぐに蔵へとやってくるスザクは、ルルーシュとナナリーにとっては唯一外の様子を知らせてくれる人間であった。特に自由に動けないナナリーは、スザクが話してくれる日本の学校の話は興味深いらしく、ことあるごとに尋ねては熱心に聞き入っていた。
ルルーシュと言えば、外の世界にはあまり興味が無いようだった。人質として日本に売られ、住処として土蔵を与えられ、最初に出会った日本人スザクには殴られる、ということがあったのだ。それで興味を持てというのも無理な話である。だからと言って、故郷のブリタニアに思いを馳せるかといえば、そうでもないらしい。
もともと狭い世界で暮らしてきたから、ここもあちらと変わりはしない。沈みゆく夕日を眺めながら、ルルーシュは言った。「けれど夕焼けだけは同じ美しさだ」 見入るその横顔に、スザクは見蕩れた。
「ん? どうしたんだ、それは」
洗濯物の後ろからひょいと顔をのぞかせたルルーシュの目が、スザクの手に握られているものへと注がれていた。スザクは慌てて、咄嗟に背中へと隠す。
「えっと、あの、これは、えっと‥‥」
「ありがとう」
「え!」
「ナナリーに持ってきたくれたんだろう? ありがとう、スザク」
「‥‥‥あ、うん、」
スザクの手の中で、花が心無しか萎れた気がした。
結局、すべての洗濯物を干したルルーシュと一緒にナナリーのところに戻ることになった。空になった洗濯物入れを奪い取るようにしてスザクが持ち、代わりにルルーシュには花を持たせて、二人は雑木林の細い小道を歩いていた。
ルルーシュはときどき花に顔を寄せ、目元を和ませていた。木漏れ日がちらちらとルルーシュを照らしては、スザクはどきりとして顔を背ける。クラスにいるような同年代の女子達とルルーシュは明らかに違っていて、スザクは落ち着かない。
「可愛いな、見たことがない。日本の花か? なんて花なんだ?」
「知らない」
「‥‥‥‥なにを怒ってるんだ」
「別に!」
その花はルルーシュ、君に。
なんて言える筈が無い。言うものか。スザクの足取りが速くなる。後ろからルルーシュが小走りでついてくるのが、なぜか心地よかった。
「お姉様!!」
あと少し歩けば、ナナリーとルルーシュの住む土蔵に着く。しかし聞こえてきた妹の叫びに、ルルーシュの顔が強ばった。
「ナナリー? ‥‥‥ナナリー!!」
花が散った。
走り出したルルーシュの背中を、スザクはぼんやりと見つめていたが、すぐに事態を悟ると同じように走り出した。ルルーシュはいつもの運動音痴が嘘なほどに素早かった。
「お姉様っ、お姉様っ」
雑木林を抜け、開けた場所に出る。車椅子に座ったナナリーが土蔵の前にいた。そして小さなナナリーが見上げる背の高い男。
ブリタニアの、男。
「ルルーシュ!」
先に飛び出したルルーシュが、呆然と立ち尽くしていた。追いついたスザクが、ルルーシュの顔を覗き込む。
彼女は、泣いていた。
「‥‥‥ルル、」
そのとき、ブリタニアの男がこちらに気付き、駆け寄ってくる。スザクは咄嗟にルルーシュの前に立ちはだかったが、男は気にするふうも無く、ただ後ろの少女を見つめていた。
「なんなんだお前っ、ここは枢木の土地だぞっ、それを」
「ようやく‥‥」
「おいっ!」
「ようやく、お会いできた‥‥!」
ブリタニアの男が両腕を広げ、スザクに迫ってくる。ぎょっとして後退ったが、そこにいる筈のルルーシュとはぶつからなかった。
ふらりと、スザクの横からルルーシュが歩み出る。いけない、そう思ったときにはもう。
「ジェレミア!!」
二人はひしと抱きしめ合っていた。飛びついたルルーシュを、ブリタニアの男が受けとめて。
「嘘だっ、こんなの嘘に決まってる!」
「ルルーシュ様‥‥っ、」
「お前がここにいる筈無いんだっ、そうだろう!?」
「いいえ、いいえルルーシュ様、ジェレミアはここにおります、」
大人びたルルーシュ。凛と微笑むルルーシュ。スザクの中にあったルルーシュが、音を立てて崩れていく。
小さな子供みたいに泣き叫ぶルルーシュなんて知らなかった。
「御労しや、ルルーシュ様‥‥っ、こんなにも痩せられて‥‥!」
ブリタニアの男、おそらく軍人。彫りの深いその顔は、涙に塗れ、喜びに彩られていた。
ルルーシュの名前を何度も呼んで、そしてその顔中に熱心に唇を押し付ける。
それってつまりはキスじゃないか。
「っル、ルルーシュに何するんだっ、変態!!」
「ぉお!?」
スザクは男の向こう脛を思い切り蹴飛ばしてやった。キス&ハグの文化が無い日本で育ったスザクにしてみれば、男のしていることはとんでもなくいやらしいことにしか見えなかった。
「スザク!」
「だってこいつが、」
「ジェレミア、ジェレミア? 大丈夫か」
スザクの言い訳などまるで関心が無いのか、ルルーシュは脛を押さえて蹲る男へと気遣わし気に寄り添った。以前、スザクが稽古で腕を擦りむいたときなど、無言で絆創膏だけ差し出した彼女がだ。この差はなんだ。
二人の仲睦まじい様子にスザクが苛々していると、いつの間にかナナリーが隣に車椅子を寄せていた。そして見えない瞳を姉がいる方向に向けて、スザクさん、と声をかける。
「お姉様は、笑っていらっしゃいますか?」
スザクは大きく息を吸い込んだ。ぷくりと頬を膨らませ、黙り込む。
今日は学校帰りに可憐な花を見つけた。土蔵には、ルルーシュが摘んでくる花が空き缶に入れられていつも飾られているのをスザクは知っていたから、だからせっせと摘んで束にして走って家に戻った。
ルルーシュの為に、ルルーシュの為だけに自分は。
‥‥‥‥俺はルルーシュが好きなんだ。
どうしてなのか、スザクは今悟ってしまった。それなのに、目の前にいるのはブリタニアの男に寄り添う初恋の少女。
「スザクさん?」
「‥‥‥‥うん、」
泣きたい気持ちだった。悲しいのとは違う。悔しいのとは違う。
切ない、という言葉を、このときのスザクはまだ知らなかった。
「‥‥‥‥幸せそうだ。幸せそうに笑ってるよ、ナナリー」
「まあ、よかったぁ」
俺は、ルルーシュが好き。なんだか複雑な気持ちを抱えたまま、スザクはじっと二人を見つめた。
ブリタニアの男、とりあえずルルーシュから離れろ。