ある家族の肖像




「ブリタニアを殺せ!」
 日本人がいた。たくさんの日本人が、ルルーシュとナナリーを取り囲んでいた。
 一人が殺せと言った。周りも徐々に、殺せと言い始めた。
 コートのポケットの中に銃を入れてあった。それを取り出し、ルルーシュは一人に向けた。日本人達は笑った。どうした、それじゃ地面を打ってしまうぞ、と言って。
 子供の力では満足に持ち上げることもできない銃を、ルルーシュはそれでも必死に握った。背後で泣き出すまいと堪える妹を守るために、引き金を引くしかなかった。
 狙いを定めろ。日本人を撃て。馬鹿、震えるんじゃない。
「お姉様っ、」
 守れ。
「お姉様ぁっ、」
 殺せ。
 そうだ、やれっ、やるんだ! 撃て!
「いけませんっ、ルルーシュ様!」

++++

 銃を持つのはこれが二度目。自身を守るため、ナナリーを守るため、その昔使ったことがある。
 久し振りに握ったグリップは、ルルーシュの掌へ重みとともに寒気をもたらした。噛み締めなければカチカチとなりそうな歯を食いしばり、ルルーシュは銃を持ち上げる。
 今度は、復讐のために。
「さようなら、クロヴィス兄上」
 恐怖に歪む兄の顔へと冷たい銃口を向けた。嗜虐的に笑み、相手の恐怖をいっそう煽る。そうだ、苦しめ。私達が味わってきた苦しみを、今ここで。
「‥‥‥っル、ルルーシュっ、」
 命乞いなど聞かない。
「ルルーシュっ、なぜっ、」
 母のため、ナナリーのため、お前には、死んでもらう。
「ルルーシュ!」
「黙れ‥‥‥!」
 自分自身の声にルルーシュは愕然とした。情けない、震えてしまっている。怖いというのか、今さら弱音を吐くのはよせ。
 小刻みに呼吸を繰り返し、もう一度、正確に銃口を押し当てた。
 聞いてはならない。見てはならない。思い出してはならない。過ぎ去った日々は、もう二度と戻ったりはしないのだ。
「ブリタニアがっ、悪いんだっ、」
 小さな子供の言い訳のようだと思った。ブリタニアが悪い。皇帝が悪い。私達を見放した、兄弟達が。
「今度は私が奪うっ、まずは兄上、貴方からだ‥‥っ」
 チェスをしましたね。本を読んでくれましたね。私の絵を描いてくれましたね。
 楽しかった。本当に、楽しかった。
「死ねっ、ブリタニア!」
 これが、一つの終わり。そして始まりになる。
 引き金を引け。ルルーシュ。

「いけません! ルルーシュ様!」

 弾き飛ばされた銃がゆっくりと放物線を描いて落下した。その瞬間の、安堵した気持ち。
 どうしてお前がここにいる。今頃クラブハウスにいるものだと思っていたのに。
「‥‥‥‥殺してはなりません、ルルーシュ様」
 知っていたのか、と掠れた声で問いかけた。驚愕に目を見開く兄を、どこかぼんやりとした眼差しで見やる。ほっとしている己が実に滑稽だった。
「貴方様のことで、知らぬことが私にありましょうか。ここ数日、様子がおかしいのには気付いておりました。失礼ながら後を」
「優秀、だな‥‥」
 彼を見ることができなかった。皇族殺しに兄殺し。人の所業とは思えぬことを自分は実行しようとしたのだ。彼は今、どれほどの侮蔑を込めて自分を見据えていることか。
「‥‥‥‥君を、知っている、」
 椅子にへたり込んでいたクロヴィスが、新たな侵入者に目を向けた。薄暗い司令室で目を凝らし、見事銃を撃ち落とした男の形を捉えようとする。
「アリエス宮にいたな‥‥? そうだ、よくルルーシュの遊び相手になっていた、」
 靴音を響かせて近づいた男は、優雅に膝を折った。
「ジェレミア卿、‥‥‥‥間違いない、ルルーシュの気に入りの」
「お久しぶりです、クロヴィス殿下」
 二人の会話をどこか遠くで聞くルルーシュの視界の端に、床に落ちた銃が映った。拾い上げ、クロヴィスを撃つか、いや自分を撃つほうが容易いか、そんなことを思う。
「ナナリーもいるのか? 三人でずっと? なぜ本国に知らせなかった!?」
「お二人は既に、ブリタニアの皇女ではございません」
「貴様っ、何を‥‥っ」
「今は私の、大切なお嬢様なのです」
 銃へと伸ばしかけた手がぴたりと止まった。そのとき初めてジェレミアを見たルルーシュの瞳に、淡く微笑む彼の姿が映る。どうしてそんなに優しい表情を向けてくれるのだろう。アリエス宮にいたときから何も変わらない、ルルーシュを安心させる笑み。
 途端に膝が崩れ落ちる。大粒の涙を零すルルーシュの肩を、駆け寄ったジェレミアが抱いてくれた。
「間に合って良かった‥‥」
「ジェレ、ミアっ、」
 太い首に齧りつき、今度は声を出してルルーシュは泣いた。敵の本陣だという状況をすっかり忘れ、幼かったあのときのようにわぁわぁと。
「怖かったでしょう、ルルーシュ様。もう大丈夫。ジェレミアが来ましたゆえ、もうお泣き召されますな」
 あやすように背中を優しく叩かれ、それがますますルルーシュの涙に拍車をかけた。日本人に取り囲まれ、まさに撃たんとするルルーシュを救い出してくれたときと同じよう。幼かった自分はナナリーの前では決して泣かなかったというのに、年相応に泣きじゃくった過去。
「すまないっ、私はっ、‥‥私はっ」
「何も言わずともよいのです。さあ、帰りましょう」
 軽々と抱き上げられたルルーシュは厚い胸板に自然と頬を寄せた。ジェレミアの心音を聞きながら、このまま眠ってしまいたいとさえ思う。
「ま、待て! ルルーシュをどこに連れていくつもりだっ」
「我が家へ」
 平然と答えるジェレミアに、クロヴィスは面食らったように瞬きを繰り返した。
「どうか、そっとしておいていただきたい。ブリタニアには知らせぬよう、クロヴィス殿下のご温情にお縋りいたします」
 真摯な眼差しに射抜かれて、クロヴィスはなおも言い募ろうと開いた唇を渋々閉じた。俯くルルーシュへと視線をやり、一歩足を踏み出しかける。しかし怯えたように肩を揺らした妹を見て、諦めたように足を止めた。
「‥‥‥‥すまない、ルルーシュ」
 七年前のことを謝罪しているのだろうか。そんな、今さら。
「あのね、政庁に庭を造ったんだよっ、アリエス宮を模した庭だっ、できれば君に見せたかった!」
 捲し立てられた言葉の数々に、ルルーシュ同様ジェレミアも目を見開いた。クロヴィスはカメラに向けるものとは違う、少しも取り繕わない素の顔でさらに言葉を重ねた。
「絵もいくつか持ってきたんだっ、君達親子の絵っ、私室に飾ってあるんだよ、‥‥‥あぁ、できれば君にもらってほしいけれど、無理、だね‥‥」
 どうしてそんな絵を、どうしてアリエス宮の庭を、どうして。
「さようなら、ルルーシュ、私の妹。撃たないでくれて、ありがとう」

++++

 目覚まし時計に起こされて、ルルーシュはいつものように朝を迎えた。ベッドを整え、制服を身に纏う。隣で眠っているナナリーを起こし、メイドの咲世子と一緒に着替えの手伝いを。
 廊下に出ると、新聞をとってきたジェレミアと鉢合わせ。一緒にリビングに向かった。
 朝食を済ませた後、今日の時間割を確認する。一時間目から小テストか、嫌になる。四時間目は体育だと。また昼食を食べる体力が奪われるな。諸々考えて、食後の紅茶を楽しんだ。
「ルルーシュ様、お時間です」
「あぁ、分かった」
 時計を確認すると始業時間の二十分前。アッシュフォード学園の敷地内であるから、ナナリーとお喋りしながらゆっくり歩いても余裕の時間帯だった。
 玄関先で妹を待つ。今頃、咲世子が丹誠込めてナナリーの髪型を作り上げているだろう。昨日は三つ編み、今日はお団子がいいな。そう考えて、視線を移す。
 玄関に飾られた、家族の肖像画。これを眺めてから登校するのが最近の習慣になった。じっと見つめていると、いつの間にか隣にジェレミアが立っていた。
「美しい絵でございますね」
「あぁ」
「クロヴィス殿下は、素晴らしいものをお描きになられる」
「私もそう思う」
 今は総督の任を下りた兄を思い浮かべる。日本を離れる際、この肖像画を送ってくれた。ブリタニアに、ルルーシュ達の存在が知られた様子は未だ無い。
「ジェレミア」
 肖像画の中で微笑む母は美しかった。クロヴィスの目に、母の姿がこうやって映っていたのだと思うと、なぜだろう切ない気持ちになる。
「邪魔をしてくれて、本当に感謝している。兄上を殺さずに済んだのは、あのときも、日本人を撃たずに済んだのは、‥‥‥私が、今、ここにいられるのは、」
 お姉様、と声がした。
 表情を切り替え、ルルーシュは満面の笑みで妹を迎えた。希望通りの可愛いお団子、咲世子よくやった、と親指を立てる。
「いってらっしゃいませ」
 恭しく見送るジェレミアの頬に、ルルーシュはキスを落とす。このとき咲世子は実に自然な動作で明後日の方向を向いてくれるので、今度は唇に近い頬にもう一度。
「いってきます」
 ナナリーの車椅子を押し出し、ルルーシュはクラブハウスを出発した。




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